越後高田 最古の社

 

ノ辻稲荷神社縁起

 

  現在から四百年ほど前、松平上総介忠輝公が、高田の地に城を築きました。それから高田は大きな城下町として栄えてまいりました。しかし、それ以前の高田の町はそれほど大きくはなく、古い記録によりますと、大町五丁目あたりが「高田村」としてその中心地だったとされております。そして、この町の真ん中には大きな榎があり(越後騒動の際には城受取りに来た榊原政倫がこの榎の根本に腰を下ろし、城と町の様子を見たとあります。ちなみにこの木は二百五十年近く前の安永年間まで残っていたそうです。)それを町の中心に位置する「先代の遺木」と皆が呼んで崇めていたそうです。その木の下には祠があり、「榎稲荷」と呼ばれておりました。その後、高田城の追手前にあった「社」が合祀され、享保年間には中島大炊介藤原義康が、伏見稲荷より勧請を受け、幾柱かの神さまとともに祀って神殿を建てました。それが今日の「五ノ辻稲荷神社」です。
 また、「先代の遺木」は、現在も御祭神の下にその切り株を残していると言われております。

 

※祭事などの予定は「お知らせ」に随時掲載いたします。

平成30年9月17日「お知らせを」更新いたしました。